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Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない

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きっこのモンタージュ(23)  ITリベラルの通俗性

凭れ合いの果てのトラジコメディ
Q:松永問題は炎上やまずという感じですね。ついに週刊アスキーの仮想報道にまで取り上げられました。
M:週アス買ってた時は、けっこう好きで読んでたページなんだけど、今回の一件の対応はがっかりさせられた。とくにBB氏への返信メールは本当にひどい、さすがにここまでひどいとは思わなかった(笑)

Q:あのメールは、さすがに問題の露骨なすり替えとしか言いようがないですね。
M:ここでも「政治」が見え隠れしているね。互助会的なもたれ合いが、政治的な作用を生んでいる。「ジャーナリスト」が続々と「ソフィスト」になっている(笑)

Q:二度もメールを送ったということは、かなりナーバスになっているということでしょうね。自分の記事が「問題化」することを恐れて。
M:はっきり言って、煩雑で取り乱した、何が言いたいのかとても掴みづらいメールだよね。いろいろと整合性のないことが書きなぐってあるんだけど、結局、週アスにはコンタクトしないでくれ(ちくらないでくれ)、という部分だけよく分かった(笑)

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■佐々木氏のすり替えも継続中
Q:佐々木氏の再エントリーもありました。
M:「外環」でも「他者」でもいいんだけど、どんなに佐々木氏がWEB.2.0に関する興味深い議論を展開していようとも、それが巧妙な「問題のすり替え」であるという意味では、稚拙な歌田氏と本質的に同じなんだよね。

Q:でも、議論自体は誠実でしっかりしたものですね。
M:でもよく読むとかなりおかしな議論だよ。佐々木氏は「まったく正しい」、「たしかにそうだ」といいながら、いつも問題の外側にずれていく。常に超越的な立場で状況そのものを俯瞰しうるポジションにずれていく。一時的にそうであるならまだしも、彼はずれていって戻ってこない。これじゃもっともらしい言い訳をしながら、後ずさりして逃げ出そうとしている犯人と同じだよ(笑)
Q:でも議論自体は興味深いですよね。
M:興味深いけど、それは「松永問題」とは全く関係がないよね。松永インタビューの不備に対する批判は、別の次元の問題。「国家権力の暴走に対するチェック機能としてのジャーナリズム」が何故「無差別大量殺人テロ集団の構成員」に対して全くノーチェックだったのかという批判、さらにはその「プロバガンダのお先棒を担いだかもしれない軽率さ」に対する批判を隠蔽するために、別の議論に誘導しようとしているにすぎない。
もちろん、ジャーナリストには責任がある――たしかにそうだ。自分自身もジャーナリストを名乗って20年近く活動してきた私も、そう思う。だったら、ジャーナリストを名乗らないブロガーには責任はないのだろうか? もし責任があるとすれば、その責任の度合いは、ジャーナリストと異なるのだろうか?
まさにこれこそ「The詭弁」だよ(笑)、もたれ合いと馴れ合いによって、「開かれている」と言いながら「閉じている」「ネットジャーナリズム」という「仮想階級」の「利権」保持のために日々産出されている「詭弁」。



■ITリベラルの通俗性
Q:松永問題は今までに大きく二つの議論の流れを形成してきたように思えます。一つは松永氏が民主党の懇談会に出席した「本当の理由」を検討すること、もう一つは、オウム信者であることが「ばれた」松永氏を社会がどう受け入れるべきかという、松永氏の「他者規定」とその対応を巡る議論です。
M:最初の問題は泉氏の不誠実で混乱した対応が、「限りなく黒に近い灰色」という認識を醸成してしまった。第二の議論は、BB氏VS小飼氏で幕を開けたわけだけど、始まる前からどういう対立が起こるかはほとんどの人が「読めていた」と思う。小飼氏は野田氏やてんこもり野郎氏を「犬」呼ばわりした人でおなじみだね(笑)

Q:「何様」の人ですね。
M:そう(笑)、彼の「犬」というレトリックの「通俗性」が、彼の思想そのものの「通俗性」を余すところなく表現しているよ。

Q:「通俗」は「悪」ですか?
M:「通俗」は「悪」ではないけど、「死ぬほど退屈」だね。それに「反体制のポース」だけ取りながら、結局は「現状維持」に荷担する思考停止の空虚さを隠蔽するための「クリシェ」に過ぎない。

Q:1991と似ていますか?
M:この問題に次々と関わってくる人々、ネットジャーナリズムとかアルファブロガーとか、そのIT周辺に生息する人々の「奇妙に浮ついた空気感」って、ニューアカデミズムのまとっていた「空気感」ととても似ている気がする。
by SpeedPoetEX | 2006-06-09 19:51 | 政治