Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない

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ゲド戦記のドタバタに見る、ゴットファーザー宮崎駿の混迷(2)

心の問題
世襲における最もデリケートな問題は、スタッフの心の問題だろう。いったいジブリのスタッフは宮崎監督の長男というだけで、全くの素人が「ゲド戦記」という大作の監督に抜擢されるという事実をどう受け止めたのだろうか?この一点だけ、つまりスタッフの「内面」の問題だけでも、今後のジブリの内紛の火種となりかねないと私は考える。
もちろん鈴木プロデューサーは可能な限りの緻密な根回しをしただろう。公式サイトにアップされているインタビューで鈴木プロデューサーは、高畑、宮崎両氏が老齢に差し掛かり「スタジオを閉めてもいいかと思っている」などとかなり「脅迫的」な発言をしている。これをスタッフに直接言ったとは思えないが、ジブリ内部に後継者問題をめぐってかなり微妙な空気が蔓延していることを感じさせる。



驕り
一番疑問を感じるのは、吾郎氏の判断である。素人である自分が、明らかに「親の七光り」と解釈されるであろう監督抜擢を簡単に受けてしまう心理が私にはわからない。それだけ自信があったということだろうか?制作スタッフをまとめ上げ、作品のクオリティーをジブリの作品として恥ずかしくないレベルに維持できるという確信が。それは鈴木プロデューサーにも言えることだ。監督が素人でも、世界最高水準のスタッフが脇を固めればそれなりに作品として成立すると考えたのだろうか?あるいはジブリの既存のスタイルを押し広げるような斬新な創造性を、新しい血を輸血するように導入できると考えたのだろうか?もし、そうだとしたらそれはアニメーションに対する「驕り」以外のなにものでもない。この点に関しては、理解に苦しむとしか言いようがない。



背景には遺産継承問題?
前回、ゲド戦記に限定した吾郎氏の世襲監督の意味を探ったが、もう少し大きなパースペクティブからこの問題を考えてみると結局、こうしたなりふりをかまわない異常な人事が起きた背景には、宮崎駿監督の遺産継承問題があるのではないだろうか。鈴木プロデューサーがポスト宮崎(65歳)・高畑(70歳)後を睨んだ組織運営を考えているのだとすると、まず考えておかなければならないのは宮崎監督作品の著作権の管理と継承である。組織の中心的な人物の死去とその後の遺産継承をめぐるごたごたは、鹿内ファミリーとフジテレビの抗争、大山倍達死後の極真会の分裂騒ぎなど、枚挙に暇がないほどである。この辺はジブリの内部でどうなっているのか私には知る由もないが、際立った後継者が現われない限りかなり長い期間、宮崎監督作品の利子に依存した組織運営がなされていく可能性が強い。もしそうであるなら、宮崎監督の親族がジブリ内部にいない体制では、ジブリ存続のための路線を敷く上で不安定感はぬぐえない。もし、宮崎監督の死後、監督の作品の権利をめぐってジブリと親族が法廷闘争を繰り広げる可能性も完全にないとは言いきれないのだ。



理想的な継承の形は別にあったはず
だとするならば、鈴木プロデューサーが吾郎氏を絶妙のタイミングでジブリ美術館の館長というポストに就けたと言えるのだ。つまりジブリ内部に宮崎ファミリーを引き込むことによって、ポスト宮崎を睨んだ安定した組織運営の構築に着手したということになる。円谷プロダクションのような形にはならないとしても、それなりのポジションに招き入れ、ジブリの未来向けたヴィジョンを明確にしようとしたわけだ。理想的にも現実的にも宮崎吾郎氏は、宮崎「監督」の後継者であるよりも鈴木「プロデューサー」の後継者であるべきだったのだ。そうであるなら、何の問題も発生しなかったはずなのだが・・・
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by SpeedPoetEX | 2006-08-03 00:21 | アニメ・漫画