Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない

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週刊金曜日とシャーロック・ホームズ

週刊金曜日の皇室をコケにした寸劇
Q:うーん、これどうなんでしょう。
M:「下劣」と言われてるいけど、それも違うような・・・

Q:どう違うんですか。
M:いや、「ホームレスは貧乏」って言葉に感じる違和感と同じかな(笑)、社会人というのはそれなりに生きて、「金持ち」になったり、「貧乏」になったりするわけで、社会自体からドロップアウトした人たちに、そういう概念はあてはまらないでしょう。「下劣」というよりも「痛い」感じに近い。ただ「週刊金曜日は痛いよね」とも言いたくない。そうした発言そのものも「痛い」感じになってしまっている。そのくらい「痛い」(笑)

Q:その「痛さ」を展開すると?
M:つまり、トレードオフ関係が成立していない、というのとも違うか・・・、つまり、皇室というのはどう評価しようとも、今の日本において、有形無形の様々な作用を及ぼしている。で、本田勝一氏や佐高信氏、矢崎泰久氏が主張するように皇室が廃止されたとしたら、その喪失によって生まれる巨大な空虚みたいなものを埋められるだけのものを彼らは提供できるのか、という問題が生じるはずなんだけど、それは多分、無理なんだね。何故なら、釣り合ってないんだよね、皇室と週刊金曜日グループでは。

Q:釣り合っているかどうかの問題なんでしょうか?
M:シャーロック・ホームズ氏が拳銃の弾痕で壁にビクトリア女王のイニシャルを書いたというエピソードがある。一種のテロだよね、想像上の、悪趣味だし(笑)もし明智小五郎が自宅の壁に銃を撃ちまくって、弾痕で「裕仁」と描くところを想像すると、どう感じる?驚くべきことでしょう?でもホームズなら釣り合っているから許される。

Q:シャーロック・ホームズは架空の人物ですよ。
M:そうだけど、もしホームズが探偵業を廃業した後、政界に転身し、首相になって王室を廃止を目指したら、十分「あり」だったと思う。最盛期の小泉純一郎氏が皇室廃止を目指して、日本を根本的に作り直す、みたいな方向を目指しても、自分的には違和感がない、何故なら「力」が拮抗しているからね。でも、週刊金曜日グループには許されないと思う、その資格がない、というか、まさに「格」が釣り合っていないから。

Q:だったら、皇室批判は限られた人以外タブーということになりますよ。
M:批判はいいんじゃない。問題はその批判そのものの「目線のベクトル」だよ。週刊金曜日の小芝居は明らかに目線が上から下、つまり皇室を見下している。この芝居が何故、ネットで炎上したのかといえば、「目線のベクトル」の違和感がトリガーになっていると思うよ。だって、これがもし、格差社会でサラリーマンがリストラされて自殺して、その一方、おいしいものをたらふく食べている「さる高貴なご一家」、みたいなベタな皇室批判の芝居だったら、ニュースにならなかったでしょう。ああ、またバカサヨがなんかやってるよみたいな感じで。

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Q:うーん。
M:つまり、皇室批判を目線でグルーピングすると、下から上が「ルサンチマンタイプ」の批判。同等なのが「同情偽装タイプ」の批判、今回のタイプは上から下の「見下し嘲笑タイプ」の批判になる。

批判というのは「非対称性」の問題から出発する場合がほとんどだから、「ルサンチマンタイプ」がスタンダードなんだよね。「奴らたらふく、俺たちハラペコ」みたいな(笑)「同情偽装タイプ」と「見下し嘲笑タイプ」は批判する主体の批判対象との間の関係性が適正であるかどうかが、微妙にクローズアップされてくる。例えば、「天皇はかわいそう、職業選択の自由もないなんて、同じ人間なのに、だから天皇制を廃止して、皇室の人たちを自由にしてあげましょう」というような、一見「同情」しているように偽装しつつ皇室廃止へ誘導しようとするような人たちがいるけど、そういう人たちに対して、感じる違和感というのは、まさにそこにある訳で。

Q:「お前何様のつもり?」みたいな。
M:そうなんだけど、彼らの前提には、「人権思想」みたいなのが共有されているはずだ、というのがあるんだろうね。日本は民主主義だから私が天皇に対して対等に口を利いたり、同情したりしてもいいはずだ、同じ人間なんだし!みたいな無言の「脅迫」があって「お前何様のつもり?」という違和感を「抑圧」している訳だよね。私は、人間は平等だとは思わないし、人権なんて「商法」みたいなものだと思ってるから、その恩着せがましい「同情」って嘘っぱちだろ、天皇も君みたいなレベルの人間に同情されて不快に思っているよ、って言うと思う(笑)基本的に、他人に同情するということは、傲慢で失礼なことかも知れないという感性が、欠落しているところが個人的にとても不快。

Q:うーん。
M:で、それよりもさらに酷いのが「見下し嘲笑タイプ」になるわけだけど、これは本当に「お前は何様なの?」というのが心置きなく言えて楽しいよね(笑)

Q:その人の立ち位置が、わからないと。
M:多分、自分達は「特権的な知識人」で天皇制などという「非合理的」で「原始的」なものにしがみついている愚民と天皇を嘲笑することが許されているはずだ、いや、その嘲笑によって彼らの自覚を促すのだみたいな、自分の仲間内でしか通用しない妄想が立ち位置になっているんじゃないの(笑)

Q:でも、さっき週刊金曜日グループを「釣り合っていない」という評価も「見下し嘲笑タイプ」ですよね。その立ち位置も妄想じゃないですか。
M:それはそう(笑)。でも、妄想か妄想でないかを決めるのは「数」の問題だから。週刊金曜日のグループを「痛い」と感じる感性と、皇室を愚弄したり、子供の人形を放り投げたりすることが「進歩的」だと感じる感性では、後者の方が少数でしょう。

つまり私のコメントは時代の空気に生じている、価値観の光学的な偏移をできるだけ正確にトレースしようとしているだけ、という部分もあるし、同時に週刊金曜日のような人たちの「愚劣さ」が、ある種の「普遍性」に到達してしまっているという部分もあるということだよね(笑)、そしてああした確信犯的な演劇にコミットしておきながら、取材されると逃げまくるという時点では、右左関係なく「人間」として「痛い」ということだよね。そしてこのブログはその痛さの構造を少しだけ分析しようと試みました、ということなんだよ(笑)
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by SpeedPoetEX | 2006-12-17 01:34 | ニュースやぶにらみ