Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない

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UAE戦雑感

皮肉でもなんでもなく、今日の試合によってバーレーン戦の負けがなくなったかとw
引いてカウンターを狙う相手に、それが分かっていて2試合続けて負けたということは、アウェーのバーレーン戦は、ラインを深くとって、きっちりと受けに回るオマーン戦の反復になるということでしょう。つまり「引き分けでOK、狙えれば狙う」という感じで。バーレーン戦を引き分ければ、次の北朝鮮に勝つことで、ホームでイランに負けても2位通過が確定するわけですから・・・

小野の存在が頭一つ抜けていた、という試合でした。

小笠原はとてもいい選手なんだけど、俊介と比べて、ぎりぎりの勝負で局面を打開する決定的な仕事が出来ないというか、ある種の「ミラクル」がない選手だなという・・・

カウンターに注意するはずが、ディフェンスラインの前が絵に描いたようにぽっかりとスペースがw
ジーコジャパンの強さはカウンターケアの厚みにあるわけで・・・

稲本は完全に消えていたような・・・
攻めに出るなら福西は残したい。あの打点の高さと、攻撃センスは代表のFWの中でもトップクラスだし(FWじゃないけどw)
稲本INの時は、多少変則的でも小笠原OUTで、福西を前に出したほうが良かったような・・・

坪井のサイドから2試合連続して、坪井の責任もないとはいえないが、「必ず一枚あまらせる」という大原則が機能していない・・・

大黒はやはりノーゴールでした。前線を活性化させたし、いいボールを引き出してましたね。まあ引き出すだけなら、柳沢の方が上なんですが、決定力込みの総合点で大黒に軍配。引いた相手から点を取るのはやはり難しい、ここがオシムのジェフとジーコジャパンの共通する課題ですねw

ジーコジャパンのかっての強さはないですね。あれはチームの特異な凝集力が、共通意識、共通感覚を生み出していたからで、その中心には藤田がいました。中田が復帰して、藤田が押し出されるように代表を外れて以降、あの独特のチームの感覚は完全に消えてしまいました。自分なら藤田は絶対はずしません。

まあ、私にとってジーコジャパンとは小野と中村なので、今日の敗戦でブルーにはなりませんでした、ただ、かなりむかついています。

ジーコは中田の先発起用を明言したそうです。ワントップ、ツーシャドーのシャドー説を中西さんが唱えていました。ありそうですね・・・
加持をはずすとは思えませんから、そうなる可能性が高そうです。
ただ、俊介も中田も並列するとやりにくそうなので、そのへんがどうなるのかと・・・

バーレーン戦は近くの天神様にお参りしてきます。アジアカップ以来、恒例になってるので・・・

とにかく、最悪でも次は負けないでください。
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by SpeedPoetEX | 2005-05-28 04:24 | サッカー

オシム信仰を考える(5) 均衡化

監督の偶像化は、戦術的イノベーションが停止したモダンサッカーの世界においても、なお大きな誘惑です。ミケルスのトータルフットボール、サッキのゾーンプレス以降サッカーの世界では革命的な戦術の更新は途絶えています。現代のサッカーはそうした大枠の中で自らの適切な座標点を模索しつつ、よりミクロなレベルでの戦術的調整に腐心し、ゲーム戦術の洗練と個の徹底した強化(強い、はやい、高い)に向かうしかない状態のように感じられます。ようするに「どこもやってることは似たり寄ったり」になってきているのです。当然こうした停滞はジーコの言う「均衡化」を増大させ、「強豪」チームと「格下」の力ををより接近させる形になっていくわけです。戦術も目新しいものはなく、練習内容も似たり寄ったり、Jリーグを見るまでもなく、混戦が常態のあり方になっていく。にもかかわらず、そこからさっくり抜け出すチームが出てきます。もちろんチームの資金力が獲得選手の質を高め、成績に反映されるのは当然ですが、消費された金の通りに順位が並ぶわけではありません。時にチームの経済力、既存戦力の質にあまり恩恵を受けることのないチームが、見事な戦いを見せ、過去に低い順位に甘んじていたにもかかわらず、突然上位に食い込んできます。そしてそこに新たに就任した監督の存在を見る時、私たちはその監督を「名監督」ではないのかと考え始めるのです。「魔法の杖」を一振りし、すべての死に瀕した諸物に、輝きに満ちた命を芽生えさせる「マジック」を行使する人間ではないのかと。
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by SpeedPoetEX | 2005-05-27 05:16 | サッカー

オシム信仰を考える(4)   騎手と馬

オフトは「ピッチの外のスターシステム」、監督の偶像化(アイドル化)の先駆けになりました。彼のもたらした目新しい戦術用語、トライアングル、スモールフィールド、アイコンタクト、コーチングなどがちょっとした流行語になりました。

ある雑誌のインタビューで(なんだったか思い出せませんでした・・・)、三浦知良選手がオフトジャパンを振り返り、「コーチングとか適当だった」、みたいなことを語っていました(笑)。カズは当時「巧い奴が11人いれば、試合には勝てるものだと思っていた」と語っています。この発言に私はかなり不意を衝かれました。それは三浦選手ほどの人でも、当時は戦術の重要性に無理解だったのか、ということに驚いたわけではありません。「巧い奴が11人入れは、試合に勝てる」というサッカーの絶対的真理を、監督や戦術を中心にゲームを見るようになった自分に、再び思い起こさせてくれたからです。

ブラジルは強い、と人は言います。ブラジルの何が強いのでしょう?選手が強いのです。監督が誰であるか、戦術が最先端のものであるか、などには関係なく、ブラジルは強いということです。要するに個の力が全ての属性を凌駕して、勝利を確定するのです。ロナウド、ロナウジーニョ、カフー、ジュニオール、アドリアーノ、名前をあげていっただけでも戦術も監督も関係ない、という気になってきます。要する誰が監督であろうとも、戦術がどうであろうとも、どんな悲惨な状況になろうとも、本大会に出場し、優勝ないしそれに近い順位まで到達する、ということです。

代表チームの強さとは、その国のサッカー文化とその伝統が、いかに卓越した「個」を日々、日常の中で自然な形で、鍛えつづけ、産出しつづけられるのかということに基づいているのです。つまり「個」の力が、全ての欠落を補って余りうるレベルに到達してこそ、サッカーの強豪国といえるのです。ブラジルにしろドイツにしろ、今度のチームはダメだ、監督はダメだとどんなにくさされても、必ず上位に進出してくるのは、「個」の力と、そこに宿る「伝統の力」が彼らを勝利に導いているからに他なりません。

監督と選手を、競馬の騎手と馬の関係に例えればどうでしょう?人は馬券を買う時、騎手で選ぶのではなく馬で選びます。走るのは馬なのですから、強い馬を選べばいいわけです(もちろん現実の競馬は、もっと複雑なものです)。サッカーに名監督がいるように、競馬にも天才ジョッキーや、名騎手が存在します。サッカーの監督が、様々なファクターを分析して、ゲームプランを構築するように、騎手はレースの性質、天候、ターフのコンディション、ライバルの馬の能力と、レース展開を分析し、自分が騎乗する馬の能力や性格に基づいて、勝利に対する戦略を練り上げ、レースに挑むのです。強い馬が勝つのなら騎手が何をやっても無駄、ということにはなりません。「騎乗ミス」という言葉があるように、本来勝てる馬を負けさせてしまうこともあります。逆に力の劣ると思われた馬を、見事な騎乗とレース展開で勝利させることも可能なのです。しかし武豊騎手が、騎乗してもハルウララを勝たせることは出来ません。それもまた事実なのです。

オシム監督はジェフからの監督就任要請を受けた時、「それは優勝できるチームなのか」ということにこだわったそうです。つまりそれは「勝てる馬なのか?」ということになります。重要なことはサッカーは競馬と比較して、監督の能力が勝利に占める割合が高いということです。つまり「監督の偶像化」は勝利に占める監督の能力の割合を高くとるほど、高まると言うことが出来ます。逆にいえばその割合が低くとるほど、偶像化は弱まります。つまりサッカーを見る人の規準が、監督と選手の割合をどうとらえるかで、決定されてしまうということを意味しているのです。

Sportivaの7月号で、サッカー評論家に「本大会の監督はジーコで大丈夫でしょうか?」というアンケートを取っています。もしNOなら、代りは誰がいいと思うかと質問もしています。結果は「どちらともいえない」が10%、「NO」が55%でしたw。そして「NOと答えた人の多くが「オシム」と答えているのが印象的でした。逆に「YES」と答えた人のうち二人が(中山氏と西部氏)がこうコメントしています。

「誰がやっても今のメンバーでは厳しい」
「監督がどうのという問題ではないから」

つまり、中山氏と西部氏は「馬がダメ、騎手を変えても順位は変わらない」と考えているのです。
それは彼らが他の評論家より相対的に、監督の重要性を選手の重要性よりも低く見積もってていることを反映しているのです。

あるいは彼らが隠れジーコ派で、消極的にジーコを守っているだけなのかも知れませんがw
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by SpeedPoetEX | 2005-05-26 03:53 | サッカー

オシム信仰を考える(3)         オフトマジック

それまで「日本代表の監督は日本人でなければならない」という純血主義をとってきた日本サッカー協会が、その方針を転換して初の外国人監督を迎え入れたのは、WC出場を実現するという絶対的な目標が生じたからに他なりません。もちろん目標だけなら大昔からあったわけですが、今回はその実現のために絶対欠かせないとされたサッカーのプロ化、Jリーグの発足という大きな金の動きを伴う賭けに打って出たために、ありとあらゆる旧慣習を断ち切って、是が非でも結果を掴み取らなければならなかったわけです。そこで初の外国人監督として就任したのがハンス・オフトです。しかしこの選出はある意味微妙な部分がありました。なぜならオフトはほとんど無名の監督で、「誰それ?」というのが多くの人の実感であったからです。しかしこの時の協会というか現キャプテン川渕氏には確信があったわけです。それはオフトがかってヤマハ発動機を短期間コーチして、瞬く間に強豪チームに押し上げたという実績に対する、強烈な印象に他なりませんでした。オフト監督は日本代表を率いるや否や、ダイナスティカップに優勝し、ついで実にあっさりとアジアカップを制覇してしまいます。今でさえアジアカップで優勝するのは大変なことです、ましてやプロ化がやっと端緒についた当時の日本代表が強豪ひしめく、アジアカップで優勝をさらうということは、かなり衝撃的なことでした。「オフトマジック」とはまさにこの衝撃に対して思わず漏れた、つぶやきだったのです。それは同時に「監督は、彼の率いるチームのクオリティやパフォーマンスに、決定的かつ致命的な影響を与えるほど重要な存在だ」という認識の到来でもありました。この認識はのちにベンゲル伝説、オシム信仰へと受け継がれていく最初の一撃となったわけです。オフト監督自身はドーハの悲劇という壮大な絵を完成させて、自ら退くことになるわけですが、私はここに監督=教祖、戦術=教義、ファン=信者という「トライアングル」の最初の成立を見たいと思うのです。
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by SpeedPoetEX | 2005-05-25 05:47 | サッカー

オシム信仰を考える(2) 名将のインフレーション

「名監督シンドローム」はメディアの「名監督探し」に現れています。どう考えてもそんなたいした監督じゃないだろうという人物に対し、実に簡単に「名将」「名監督」「策士」「戦術家」などのレッテルを貼り付けていきます。最近でも、オマーンのマチャラ監督に対し「策士」だの「老獪な戦術家」などと褒め殺しか、というぐらいの持ち上げっぷりだったのが記憶に新しいですね。たしかにマチャラか監督は日本代表を苦しめましたし、有能な監督だとは思います。多分オマーンというチームは北朝鮮やバーレーンより強いチームだと思いますし、それを育て上げた手腕は十分評価されてしかるべきものです。しかしマチャラの対日本戦術は、ポゼッションを主体にするチームに対し、マンマークで中盤のパスカットをねらい、そこから素早いカウンターにつなげるという、言葉は悪いですが「ありきたり」なものです(私は友達に劣化版浦和レッズと言っていました)。最終決戦では日本代表にそれを逆手にとられて、WC予選で敗退が決定することになるわけですが、やはり「策士」などという言葉はもう少し高度で緻密な用兵をする監督に限定して使用して欲しいのです。「名将」や「策士」のインフレーションは、劇的な対立の構図を捏造することにより、読者の興味を煽り、販売部数につなげようとするジャーナリズムの構造的な問題に起因している部分もありますが、それと同時に、どこかで日本代表を「魔法」のように最高レベルのチームへと変身させてくれる、偉大な魔法使いのような監督がいるはずだという強迫観念に起因しているわけです。そしてこのオブセッションはある歴史的な記憶の反復に他なりません。そう、それはまさに「魔法」と呼ばれていたのです。「オフトマジック」と。
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by SpeedPoetEX | 2005-05-23 04:41 | サッカー

オシム信仰を考える(1) 

中田の復帰で迷走状態に突入し、さらなる懐疑の視線にさらされるジーコ監督、ACL予選敗退で「名将」の肩書きがリアリティーを失いつつある岡田監督、相対的にさらに輝きをましているのがオシム監督というところでしょう。

もともとベンゲルの再来とばかりに評価の高かったオシム監督なのですが、去年、主力をごっそりジュビロに引き抜かれ弱体化したはずのチームを率いて、去年に優るとも劣らない攻撃的なサッカーで,予想以上の高順位を確保し、さらに評価を確実なものにしています。

試合前のスタメンのアナウンスでは、敵チームのサポータから選手よりも激しいブーイングを浴び、試合後の記者会見では、会見終了後に記者から拍手を浴びて退場するなど、
ちょっと異常なフィーバーぶりといってもいいようです。

結局こういうフィーバーの背景には、日本代表を世界のより高いステージに引き上げてくれる、
名監督シンドローム」というのが、日本サッカー界に蔓延していることを意味しているわけですが、はたしてオシム監督は、ついに探し当てられた正真正銘のダイアモンドなのか、それとも熱にうなされた病人の垣間見る、美しく儚い幻影に過ぎないのでしょうか?
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by SpeedPoetEX | 2005-05-22 05:00 | サッカー

無観客試合になって一番喜んでいるのは・・・

北朝鮮でしょうね。
この裁定が下った時、北朝鮮は抗議はするが、ポーズだけだろうと思っていました。
やはりその通りでした。

独裁国家にとってもっとも忌むべきものは、群集です。
人がたくさん集まって、興奮状態に陥るのが最も恐ろしいことなのです。
統制の取れなくなった群集こそ、独裁的な権力にとって危険なものはありません。

イラン戦の後の暴動寸前の状態を見て、あれが政府主導ではなく、
自然発生的なものであるところに、北朝鮮政府は衝撃を受けていたと推測します。

統制の取れない群集の暴動は「革命」への布石になる。

北も中国も、そう長くは持たないと思っています。
4月に中国で5万人規模のデモがあり、100人近くの人が鎮圧部隊に殺害されたという情報がありました。

どこかで、何かのきっかけで、なし崩し的に崩壊に向かう、そんな気がしてなりません。
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by SpeedPoetEX | 2005-05-15 05:58 | サッカー