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Marehitoの溺れる魚は鳥かもしれない

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きっこのモンタージュ(3)   ヘアメークは見た!

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個人情報の過剰が意味するものは?
元公安調査庁の野田氏が「きっこの日記」について違和感を感じたのは、本人を特定できる情報が「多すぎる」からでした。通常では考えられないレベルで、ある種の情報が検出される場合、その情報の「過剰」の意味を推測しなければならないのです。その情報そのものを「」に入れて、その情報そのものが「過剰」に流通している、裏の理由を探らなければなりません。問題は何故、きっこ氏はあれほど無防備に自分の私生活をさらけ出し、過剰なまでに自分が「ヘアメーク」であることを強調するのか?ということになります。そこには二つの理由があると私は思うのです。


「悪意」と「うそ」
まず、第一の理由はほとんどが「うそ」である、と仮定することによって導かれます、つまり「無防備にさらけ出している私生活」はほとんどが「うそ」である、とするならば情報を出せば出すほど、本当の自分を隠蔽できることになります。実際に野田氏が横山哲夫氏に取材したり、JHMAAにあたったりして、ことごとく該当者が存在していない可能性の高いことに気づき、ある種の「悪意」すら感じています。つまり、きっこ氏の「自分語り」は、巧妙な情報操作によるミスリードを目的としたものであり、本当の自分から遠ざけるためのものだと判断したほうが良さそうです。


昔「家政婦」、今「ヘアメーク」
第二の理由は「ヘアメーク」という職業の特殊性にあります。UG情報を表に出す場合、情報ソースを「関係者」とか「情報通」などの記号で隠蔽するのが通例ですが、それではいかにもうそ臭くなります。市原悦子の「家政婦は見た」が時代を超えた人気を博しているのは、「家政婦」という職業が合法的に、職業として、他人のプライバシーを「覗く」ことが出来るからに他なりません。実際にきっこ氏のエントリーには「ヘアメークは見た!」というのが存在します。そこでこう語っています。
市原悦子の「家政婦は見た!」をパクッて、「ヘアメークは見た!」ってタイトルで暴露本でも書いたら、一生、業界からホサレちゃうことウケアイだけど、すごく売れそうな気がする今日この頃である(笑)
「人が興味を持つのは「舞台裏」なのです。合法的に「舞台裏」に入って行ける存在、「ヘアメーク」は、まさにスポットライトの裏側を「覗く」ことを許された存在なのです。きっこ氏がゴマキに灰皿を投げつけられたとかTVや雑誌の具体名を挙げて「ヘアメーク」としての日常生活を面白おかしく語りつづけるのは、「あたしが語る業界の情報は、それが一次情報であれ二次情報であれ、確度がとても高いものなの、あなたはそれを信じなさい」というもう一つのメッセージを読者の頭の中に刷り込みたいからなのです。


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きっこメソッド再検証 尻尾もなく足もなく謝罪もなく
きっこの日記の初期の作品、2002/05/08 (水) 芸能今昔物語 ②を少し長いが引用してみたいと思います。ここにはきっこ氏のメソッドの原型が申し分ない形であらわれているからです。
むかしむかし、あるところに、寺田光男、通称つんくと言う小太りのプロデューサーがおりました。つんく君は、『ASAYAN』と言うテレビ番組で、ドシロートの女学生を集めて、『モーニング娘。』と言うアイドルグループを作りました。そのグループが売れ始めると、その中の何人かで、『プッチモニ』や『ミニモニ』と言う別ユニットを作ったり、特に人気のあるメンバーは、ソロでも歌わせたりして、お金儲けに励みました。つんく君は、お金には不自由しなくなりましたが、顔が売れてしまったので、大好きだった風俗店やキャバクラに、あまり行けなくなってしまいました。しかたがないので、『モーニング娘。』のメンバーをひとりづつ、『打ち合わせ』と称してホテルの部屋に呼び出し、日替わりで下半身を『打ち合わせ』ていました。そのうちのひとりの飯田かおりちゃんとデキてしまい、つんく君は、今年の秋に結婚することになりました。めでたし、めでたし。
ここで明らかなのは、前提とされているのが、「あたし」が「ヘアメーク」であるから「裏情報」の確度が高いよ、という捏造されたイメージだということです。この前提の上に「いかにもありそうな話」を切って来るのです。「つんく」は「モー娘」に手をつけてるに違いない、という「いかにもありそうな」話を持ってくるのです。問題はその先です、「結婚する」と断言しておきながら、結局それは起きませんでした。しかしきっこ氏を信じている人は、「カオリン」は捨てられたに違いないと思うのです。何故なら、誰もつんく氏に「カオリンを弄んで捨てたんですか?」とか、飯田氏に「つんくさんに捨てられたんですか?」などと聞くことは出来ないからです。つまり、真偽の判定が可能な限り困難な事例を持ってくるのです。そしてあたかもそれに近いことがあったに違いないという「印象操作」を完遂するのです。

きっこ氏はこうした手法により構築された転移関係をベースに、きっこ信者(ビリーバー)たちに思うが侭に心理的な変化を起こさせることが出来る、権力(パワー)を手にすることになってゆきます。つい最近まで、きっこ氏に批判的なBlogのコメント欄が、きっこ氏擁護の声で埋もれているのを、確かに私たちは知っているわけですから。
by SpeedPoetEX | 2006-03-12 05:36 | 政治