2006年 10月 09日
きっこのモンタージュ リターンズ プロレタリア文学としての「きっこの日記」
■『きっこの日記』が出版される意味は?
Q:松永氏が復帰しました、『きっこの日記』も本になりますね。 M:松永氏は復帰したようだけど、ちょっと方向性が見えにくい展開だね。『きっこの日記』が本になるということだけど、どういう意味があるのか分からない。 Q:本を出版することで「一気にメジャーにブレイク」というのもある訳ですが。 M:それもそうだけど、きっこ氏のような中途半端な有名人は本とか出版すると、「一丁あがり」になるパターンも多いと思うけどね。神秘性が消えて、一気に飽きられるリスクのほうが高いと思うけど。 Q:何をどこまで書くか、にもよりますね。 M:つまりさ、ネットで読めるものを本で出す意味があるか、という問題もあるし・・・ Q:電車男はどうですか? M:あれは一貫したストーリーがあるから、小説として出版する意味はあると思う。でも、「きっこの日記」はネタの鮮度が勝負でしょう?過去のスクープでもまとめるのかね?でも全部嘘っぱちなんだから、そもそも「スクープ」なんてないわけだし・・・。新ネタでも仕込む? Q:それをやると、ネットのほうの「きっこの日記」の意義がなくなるような・・・ M:芸人が本を出すというパターンがあるでしょ?ネタを本として出すグループと、小説みたいに別の方向に振るグループがある。前者がヒロシ氏、鉄拳氏、長井秀和氏、後者が劇団ひとり氏、品川庄司の品川氏と分かれる。本は両方ともそこそこ売れるんだけど、前者は何故か消えつつある、逆に後者は芸人なのに小説書いて、別の才能を示したということで、タレントとしてランクが上がっている。だから、きっこ氏は単なるネットの延長線上でネタを本にすると、消えるほうのレールに連結してしまうような気がするんだよね。もうひとひねり加えるたほうがいいんじゃないかな。思い切って、「きっこのスーパーヘアメイク」とか、そういうほうに振った方が、長いスパンで考えると良かったのかもしれない、ヘアメイクでもなんでもない人間がヘアメイクの本を出すというのは画期的だからね(笑) Q:「きっこの日記は無料です」というのも、今は空しく響きますね。 M:サプライズとしては、「病気」の「お母さん」が死んじゃって、お墓を建てたいので、印税で建てることにしました、みなさんごめんなさい、みたいな「衝撃(笑劇)」の告白があるとおもしろいけどね(笑) ■「きっこの日記」と暴力団 Q:「きっこの日記」はマスメディアに対するあるレベルでの影響力を確立したように思えますね。今後もそうした影響力は維持されるとかん考えますか。 M:多分苦しいんじゃないかな。例の沖縄の野口氏「怪死事件」にしても、耐震強度偽装疑惑にしても「きっこの日記」がミスリードした先には何もなかったからね。マスコミもバカじゃないから、もう「きっこの日記」に対するそれなりの見切りはしてるんじゃないかな。 Q:ジャーナリズムや民主党(馬 淵 澄 夫氏)と、UGの怪情報を接続する、ハブのような役割を果たしてきたということになりますか。 M:暴力団と組んでの株価操作疑惑については前にも触れたけど、野口氏「怪死事件」の時でも、「サイバーファーム」やら「ゲインウェル証券」やら、事件とは何の関係もない企業名を出して、メディアやネットを大混乱させたのは記憶に新しいね。最初は何か深い部分でつながりでもあるのかとマスコミを右往左往するけど、結局何も出てこない(笑) Q:それも暴力団がらみですか? M:もし、暴力団と連携しているのだとしたら、暴力団が実際に何か事件をおこした時、そこから目をそらさせるためのもっともらしいデマゴギーを流通させる、情報操作の機能も「きっこの日記」は果たしているということになるね。株価操作を目的とした情報操作・情報撹乱のためのサイトであると考えることもできるね。 「きっこの日記」の「歴史」を振り返ってみれば、一言で言えば「嘘まみれの垂れ流しエントリー」であることがはっきりしている。読者をミスリードすること自体を目的としていることは何度も指摘してきたけれど、もし仮に、きっこ氏が「真実」なんてものにアクセスすることができる立場にあるとするならば、「真実」を「明らかにする」いうよりも、「隠蔽する」方に「熱心」だったと解釈するしかない。問題はなぜきっこ氏は事件の真相を「もみ消す」方に「加担」することに「熱心」なのかということだけど、そこにこそ「巨大な闇」があるとしかいいようがないね(笑) ■「きっこの日記」はプロレタリア文学か? Q:「きっこの日記」は「文学」なんですかね? M:「広義」の意味で「文学」にカテゴライズしていもいいと思うよ。 Q:「広義」の意味でですか・・・ M:例えば、100年後に現代を振り返ったとしたら、2chも「きっこの日記」もある種の大衆文学の一つとしてカウントされていると思うし、2chはまさにその時代がどういう時代であったかを知るための途方もなく価値のある資料になると思うね。まあ、100年後にも2chが存続している可能性は十分あるけどね(笑) Q:「文学」といっても色々ある訳ですが・・・ M:前からぼんやりと考えていたことなんだけど、なぜ松永氏はきっこ氏や泉氏にあれほど執拗に「貧乏」をアピールさせようとしたのかと、という謎についてなんだけど。 Q:ふむ。 M:ずいぶん前のことで、うろ覚えだから正確ではないんだけど、評論家の平岡正明氏が小説家の五木寛之氏を「階級なき社会における、プロレタリア作家」と評したことがあって、非常に的確だと感心したことがあった。 Q:何の関係が? M:松永氏の伝記みたいなのを少し読みながら、きっこ氏の必死の貧乏アピールの謎を重ね合わせて考えてみたんだけど、これって一種のプロレタリア文学を志向しているんじゃないのかと思ったのよ。つまり松永氏もまた「階級なき社会における、プロレタリア作家」なんじゃないかと、ふと思ったんだよね。まあ、考えてみると河上イチローの頃から、そうなのかもしれない。 Q:「きっこの日記」は「蟹工船」ですか(笑) M:松永氏はまず「メディアの階級性」に着目したんじゃないかと思う。そう考えると、戦略なのか、という話になっちゃうんだけどね。本気半分、戦略半分という感じだろうか。 メディアの階級性という観点から考えると、マスメディアに対して、ネットやネットジャーナリズムというのは「対抗メディア」として機能しているわけだよね。例えば2chの歴史的意義はなんだったのかと問われれば、マスメディアを完全に相対化したということに尽きる。多分、松永氏はネットやネットジャーナリズムをマスメディアに対して「負け組み」や「下流」の「異議申し立て」の「声」を反映させる「メディア」と規定しているんじゃないだろうか、と思ったんだよね。そうした規定を前提として、「負け組み」の「代表」であることを、「貧乏」というスティグマによって、きっこ氏に付加して、表象しようとしたのじゃないだろうか? Q:つまり、擬態である、と。 M:「きっこの日記」におけるきっこ氏の貧乏アピールは、階級を実体化させることを目指している。そこでは「巨大な闇」が広がっていて、人々は抑圧され、支配され、搾取されている。きっこ氏や「負け組み」の人々が貧乏で恵まれない生活を送っているのも、「巨大な闇」が政権の中枢と結んできっこ氏や「負け組み」の人々を抑圧しているからなんだよ。だから、貧乏である「あたし」と同じように貧乏な「読者」は「同志」であり、「あたし」の声は「読者」(負け組み・下流)の声であり、「あたし」きっこは、みんなの兄弟であり姉妹であり、仲間であり、「あたし」こそがみんなの代表であり、みんなの「声」を代替できる存在なの、と言いたいんじゃないかな。 Q:きっこ氏の空気感は、確かになんとなしに学生運動の匂いがするんですよね。 M:そういう視点から見ると「きっこの日記」は「革命」のための「文学」なんだよ。階級を実体化させた上で、敵を実体化し、民衆を先導し、巨大な闇を撃つ。最終的には革命までいく。松永氏は河上イチロー時代からのデマゴギーによるアジテーションを、「きっこ」という、漫画チックで薄っぺらなキャラクターを媒介として、流通させることが今という時代に一番適していると考えたんじゃないだろうか。 だから、メディアの表向きの顔が誰を取り込みたいのか、というターゲティングの問題になるよね。そこでまず、疑問に感じるのはきっこ氏が必死で貧乏アピールのパフォーマンスを展開している時、そこに自分を重ね合わせていく人ってホントにいるのかな、ということだよね。あの貧乏話は、ほとんどが嘘話で出来ている「きっこの日記」の中でも特に「嘘臭い」気がする。 考えてみると、こういう「やり口」って、新興宗教団体が生活保護を受けていたり、重い病気の人とかを集中して信者に取り込んでいくやり口と似ているんだよ。「貧乏」と「病気」って、新興宗教にとって最大のお得意さんでしょ(笑)きっこ氏は「貧乏」で、お母さんは「病気」な訳だけど、なんかあざとすぎだよね(笑) Q:でも、格差社会では「階級」はリアルに実体化しつつあるんじゃないですか? M:でも、ホントに格差社会なのかね?ジニ係数とか数字上はそうなるけど、これは議論の分かれるところでしょう。「少子高齢化」である以上、雇用状況は不可避的に改善されざるを得なくなるから、やがて雇用市場はバブル時代並みの売り手市場になる。そうした状況になれば、「格差」というのは「実感」という意味では消失していくんじゃないかな。だから、「格差社会」のリアリティはここしばらくの間はマスメディアの「ネタ」として垂れ流されていくけれど、長くは持たないという気がするけどね。ま、分からんけど。 Q:では、きっこ氏の貧乏アピールは不毛なパフォーマンスであると? M:やっぱ、ずれているんじゃない?松永氏が取り込みたいと狙っているターゲットと、「きっこの日記」を本気で反応しちゃう読者とは重ならないと思うけど。 Q:「貧乏」や「病気」や「負け組み」とは関係ない。 M:強いていえば、「きっこの日記」で「釣れる」階層というのは、経済的な意味での「階級」というよりも、植草氏は痴漢をしていない、陰謀に巻き込まれているだけだ、と本気で信じちゃうような人たちだよね。でもそれって、メディアの階級性とは本質的に関係がない。 Q:じゃあ、きっこ氏は今後どんな階層に、擦り寄っていくべきなんでしょうか。 M:やっぱり、それは「ムー体質」な人たちじゃないのかな、「シャンバラ」とか「シリウス」とかそういう方向で話を膨らましていった方が、よりコアな層にヒットするし、長持ちするし、最終的にオウムに統合しやすいと思うんだけどね(笑)
by SpeedPoetEX
| 2006-10-09 03:58
| ニュースやぶにらみ
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